2024/11/16

Q10というサイトは名前だけよく聞いていた。でも、楽天、アマゾンという二大巨頭に加えてYahooショッピングもあるのでわざわざ使うことはないと思っていた。ただ、Youtuberの人が「メガ割」というものをよく口にしていたので、ひょっとしたらスキンケア系の商品はアマゾンとかより安いのかも知れないと思い覗いてみることにした。すると、メガ割は殆どの商品が20%offで買えるというもので、かなりお得であることがわかった。また、アプリのレビューが松屋のアプリ並みに高評価であるのでなかなか信頼できると思った。そんな出会いがあり、朝からいろいろな商品を見ているとあっという間にお昼すぎになっていた。
このままではまずいと思い、出かけることに。向かった先はびっくりドンキー。パインバーグディッシュを食べる。びっくりドンキーに行くのは人生で二回目である。前回はリュウジのバズレシピでやっていた「ブロッコリーの方舟」が気になったので、それとチーズバークディッシュを頼んだ記憶がある。今回は、特に大きな理由はないが銀シャリのYoutubeで鰻(敬称略)がびっくりドンキーを語っている動画や、バイク旅でびっくりドンキーに寄っている様子が頭に残っていて、付属のサラダを2個頼むというのがそんなにサラダが美味しいのか?と気になっていたので(前に食べたはずだが)あと、橋本(敬称略)の「20世紀少年みたいになってる」という例えも覚えていたので、お目にかかろうと思った次第である。びっくりドンキーにはランチがあるが、全然お得じゃなくて、それがランチ外時間に行ったときの損失感を薄めているのが良いなと思った。(ランチは味噌汁が付いて、その味噌汁の値段が少しお得になるくらいのものである。それともそんなに味噌汁が美味しいのだろうか?というか、ハンバーグに味噌汁なのか。確かにハンバーグは洋食か和食か微妙なとこだけど。おろしポン酢とかなら合うかも。味噌汁も今度注文してみよう)また、びっくりドンキーを選んだ他の理由して、いつもコーヒー豆を買っているお店が近くにあることも挙げられる。このコーヒーショップはどうやらチェーン店のようだが、店主の方はずっと同じ方だし、その店独自のブレンドも置いているし、チェーンの感じを一切感じさせない。というか、チェーンの感じがあっても別に良いのだが。ギャップが有るということだ。
そこのコーヒーは安いという理由で通っていたが、ここ最近の値上げブームの波でかなりの値上げがなされた。おおよそ200~300円くらい高くなったような気がする。コーヒー200gに1000円以上出すのは少し抵抗があるが、かといって安いコーヒーを買うのはカッコ悪いので、今回はずっと気になっていたピーベリーのコーヒー豆で200g1100円のものを購入した。この店は注文を受けてから焙煎を開始する。そのため新鮮な状態で受け取れて、更にその待ち時間にコーヒーを1杯サービスしてもらえる。事前に予約して、焙煎されたものをすぐに受け取ることもできるが、このハンドドリップで1杯ずつ抽出してもらえるコーヒーがとても美味しいので、いつも予約はせずに焙煎の音とともにコーヒーを飲んでいく。コーヒー豆を受け取ると、新しく出来たバーガーキングに足を運ぶ。とはいっても、びっくりドンキーで食べたのでビスコサンデーのみを注文し、居座ることにする。とりあえず、いろいろやりたいことがある。論文を読むとか、採点のバイトをするとか。でも、結局文章を書いていると2時間位経っていた。私は文章を書くのが遅いのだろうか?他の人は日記や1テーマの文章を書くのにどれくらいの時間をかけているのだろう。というか、日記はここまで詳細に書く必要があるのだろうか?自分の一日の何が大切で忘れたくないことなのかの判断ができない。というか、そういったものは時系列で書いていくうちに思い出されるようなものなのだ。まあ、自分のやり方でやれば良いのだが、こんなに時間をかけていたら文章を書く以外の時間が削られて仕方がない。また、愚にもつかない文章を書くことがかなりの快感になりつつある。それほど頭の中でぐるぐると回っている無駄な思考が多いのだろう。ゲームに惹きつけられるみたいな感じで、文章を書くことに(実際にはパソコンに打ち込んでいるので打つといったほうが正確かもしれない)惹きつけられるのだ。そうやって、満足感は得つつもやりきれない気持ちを抱えてバーガーキングをあとにする。帰り途中にライフに寄る。ライフは特段何かが安い訳では無いが、何故か惹きつけられる魅力がある。セルフレジが動物の鳴き声だからかもしれない。
安売りの惣菜とザ・ビックと比較して50円くらい高い卵を購入して帰宅。
結局、中身の薄い一日となってしまった。お金ばかり浪費している。しかし、私はなんでこんなに浪費することができるのだろう。それはバイトをして奨学金も満額もらっているので普通の人よりもお金にゆとりがあって、それでもクレジットの支払がギリギリなので相当な浪費をしているということだ。違う。本当に困窮していて食事もろくに取れないというのが理解できない。今の日本でどうしてそうなってしまうのだろうか?身なりがひどすぎてバイトに雇ってもらえないとかそういうことだろうか?たしかに、自分もバイトがなくなったらどうやって稼げば良いのか思いつくのは難しい。でも、Uberとか出前館で今でもある程度稼げるし、タイミーとかの単発バイトも面接等無しで仕事できる。でも確かにわざわざタイミーで毎回仕事を探して、稼いで、贅沢するくらいなら、困窮に耐えたほうが楽な気もする。あと、困窮がもたらすハングリー精神のようなものはほしい気がする。バイトや奨学金を一切禁止することで、自分の能力で一刻も早く稼ぐ必要性が出てきて、そこで発揮される努力、集中力はかなりのものとなるだろう。岡本太郎的思考である。しょうもないしがらみとか、甘い蜜の味を知ってしまうまえにそうすべきだったのかも知れない。一つ、現在積立ニーサを毎月5万円で行っているが、この値段を上げることで使えるお金の量を減らすということは可能である。そして、数カ月はただただ支払う金額が増えて支払いが滞るだろう。そうなるとどっかのタイミングでいくらかまとまった額を稼ぐ必要が出てきて、そこで死に物狂いで何かしらの、バイトにとらわれない稼ぎ方を見つけ出して成功するかも知れない。給付奨学金の情報も結局、お金に困窮してないとキャッチすることは出来ない。(あるいは、情報通な友人や助言をくれる熱心な人が近くにいるか)そして、その情報を後で知って損した気分になるのがオチである。
お金は別にそんなにほしいとも思えなくなってきた。何かで見た「やることがないならお金を稼ぎなさい」という言葉は頭に残っている。生きるのが容易すぎるから死にたくなるのは皮肉なことである。
明日に希望を抱けない人生とともに、就寝。

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