2024/12/31

大晦日の晦の字を書ける人たぶん結構少ない。

佐川ピン芸人のYoutubeの冒頭みたいに言えてたら嬉しい。~説とかはあまり使わないほうがいいという直感がはたらいた。
それはそうと、「晦」を打つために大晦日って打ってから「大」と「日」を消すの面倒くさい。(つごもりと読むらしい)暦に関わるから右のつくりは毎日とか毎週とかの「毎」かと思うけど、母になっているのが意地悪である。たぶん、なんとなく形を覚えていてもここで間違える人が続出するだろう。それはそうと、桑都も初見で「そうと」って読める人いないと思う。桑なんて「くわ」としか読まないだろ。(これにより、八王子近辺に済んでいることがバレる)
これは憎悪、ペットボトル捨てる難易度高すぎる。2週間に1回のチャンスで、中身洗って乾かさないといけないし、2Lのやつは自販機横のゴミ箱に捨てられないし。あと、ベタだけど燃えるゴミの袋高すぎる。ケチって小さい袋買って、ゴミをギチギチに詰め込んで破れたときの虚しさは計り知れない。だいたい寝る前に「やばい、今ゴミをやっとかないと絶対に明日ゴミを出せない」と意を決してゴミをまとめるので、心はすでにギリギリの状態。そこで袋が破れれば、こっちの精神もやぶれかぶれになるに決まっている。でも俺は暴徒、ガムテープを貼り付けて無理やり補填するのみである。
ん~~いや、全然関係なくなっちゃった!漢字の話だったのに?ガムテープとかどうでもいいから!

破廉恥だという気持ちと、もっと考えてやりたいけど多分どんどん面白くなくなってくからやめるという気持ちなので、やめるに2票入りました。見返すこともしません。

それにしても、大晦日の特別感は年々薄れていく。どこかで子供の頃のあの多幸感を追い求めてしまっている自分がいる。それは自分の感性が鋭敏だったのか、過ごし方に問題があるのか、その両方なのか。ガキ使があって、コンテンツに溢れていないあの時代だからこそ、”大晦日はこれ”みたいな決まった型があってそれを楽しみにできた気がする。最近は、大晦日周辺が目白押しすぎて楽しみが分散されたか、それに耐性ができてもっと楽しませてくれるものを求めてしまっているという節がある。
でも去年からM1のように、明確に楽しみなコンテンツが現れた。それはお笑いオムニバスGPである。ドッキリGPの系列でなんとなく忌避していたのだが、去年は麒麟川島(敬称略)と千鳥がパネラー(映像を見る人)でさすがに面白そうだったので見ることにした。その結果は、結局2024年で笑ったのはこれなんじゃないかというくらい面白かった。川島の掲げる番組コンセプト通りになったというわけである。(今年はローション階段の尺が長いのが気になったけど、やっぱりめちゃめちゃ面白かった)

だんだん大晦日の特別感が薄れたと言ったものの、今年の大晦日は一味違う。今年は自分的にラストイヤーという感覚があるので、大切に時間を過ごそうと思ったのが起因している。ラストイヤーというのは、(多分)来年は修論があるのでゆったり出来ないし、その後も(多分)就職すればこれほどゆっくりはできないので、こうしていられるのも今年で最後。そういう気持ちが少なからずある。
そうはいっても、大晦日は夜である。昼間は例のごとくだらだらと過ごす。そして、夜ご飯の買い出しに家族で出かける。大晦日といえばすき焼きである。これはどれくらい多数派なのだろうか。日本の春菊は高すぎる!実家の強さを感じたのはこのときである。(不躾ながら)春菊について尋ねると、「~さんに貰ったのがいっぱい家に余っている」というのだ。そ、そんな文化がこの日本に残っていたのか!Xのバズツイートを鼻で笑うような発言!しかし、私は勝者の一味である。鼻高らかに高騰した野菜達の前を通り過ぎてゆく。目指すは精肉コーナー。ただそれだけである。しかし、肉の値段なんて見ないことに越したことはないのでそれらは親に任せて、妹と二人で隣の百均に行くことにした。
目的は冷蔵庫に置く脱臭炭を購入するためである。理由は、本当に申し訳ないがおばあちゃん家の冷蔵庫の臭いがきつすぎるからである。自分が敏感すぎるのかもしれないが、ペットボトルのコーヒーにも臭いが移っていて、これはとても飲めたものではなかった。製氷機の氷とかも臭いが付いているものは断固拒否である。なので、自分のエゴで脱臭炭をこっそり置かせてもらおうという話である。そこの百均にはいかにも臭いを吸ってくれそうな、”THE炭”みたいなものは売っていなかったが、リンゴのマークが描かれたスマートな脱臭炭が売られていた。Appleで買った冷蔵庫に付いてきそうな脱臭炭である。これと、お年玉のポチ袋をデモンストレーションで買った。そうして大晦日の本番を迎えた。

帰ってくると、電話がかかってくる。おばあちゃんの電話である。そこに出ると、いとこちゃん(小1)が「こっち来てー」と連呼している。ちょうど脱臭炭を置きたかったし、ありがたくお呼ばれすることにした。おばあちゃん家に足を踏み入れると、いとこくん(中2)もいた。彼は思春期でなかなかシャイボーイになっていた。痛いほど気持ちがわかるからこそ、工夫して距離を詰めに行く。「あれ?ツムツムやってるの?」「プロスピです・・」「いとこくんはめっちゃ食べるもんね」「いや、そんな食べないです」
ただのダル絡みである。お粗末にもほどがある。一旦保留して、キッチンを覗くとこちらもすき焼きを準備していた。そして準備を手伝ったり、いとこくんにダル絡みしたり、いとこらのお父さん(not血縁)と会話しているうちに、おばあちゃん家でご飯を食べる流れになっていた。この機会をありがたく享受する。すき焼きなんて割り下と卵があれば全部一緒だと思っていたが、いい肉だと段違いで美味しいことが分かった。これだけで、去年の大晦日(カレー屋のバイトをして、いいタンドリーチキンをテイクアウトして、一人さみしく年越しした)を大きく超えてきた。食卓を囲むことでいとこくんも段々打ち解けてきた。
食後のフェードアウトしていく感じもまたいい。この豪勢な食事にスパッとごちそうさまを発する少女の潔さに心打たれるものがある。(とはいえ、その後つまみ食いを繰り返す)
おばあちゃん家はリビングにコタツ、キッチンのスペースに足の高いテーブルセットがある。すき焼きはコタツで食べていたのだが、キッチンのテーブルではなんと、カニしゃぶが繰り広げられていた。こんな贅沢な二刀流が許されていいのだろうか?大晦日だから許される逸脱行為である。いとちん(略:いとこちゃん)がしゃぶしゃぶされたカニを持ってきてくれる。芸能人だったら多分炎上していると思う。そんな素晴らしい食の時間にも終止符が打たれ、鍋はそそくさと片付けられる。
しかし、いとちんにとってはここからが本番である。遊びたい欲が膨れ上がっている。こういうときにトランプは本当に便利である。困ったらトランプを持っていれば場をつなぐことができる。いとちんの暴走を前に、トランプをしようと先手を打った。もちろんいとくんも一緒にである。そこにおばあちゃんを交えた4人でのトランプ遊びが開幕した。まずは手始めにババ抜きを。その次に神経衰弱。そして七並べを行った。この七並べにいとちんが大ハマリして、何回も繰り返すことになった。でもこの七並べはシンプルかつ対等にできるので素晴らしい遊びだと思った。(いとこらのわるだくみによって平和なゲームというわけではなかった)その後、いとちんがお風呂に入る宣言でトランプを投げ出したので、そこにいとこ母(母姉)を加えてポーカーをすることにした。テキサスポーカーに近い方法で、まず手札は5枚配られ場代を出す。(麻雀の点棒で行った)その後、場に三枚カードが出されるので一枚めくられるごとに点棒を張っていく。ここはテキサスポーカーと同様で、一周回って途中で降りるか張るかを選択する。あとは残っている人で場の3枚と手札5枚で強い役の人が勝ちというゲームである。テキサスポーカーよりも一枚多いし元々の手札が5枚なので、強い役が揃いやすく良くも悪くもみんなあまり降りない。ゲームの欠陥はあるかもしれないが、その空間ではなかなかいい感じで遊ぶことが出来た。いとくんが結構楽しんでいたのでそれが嬉しかった。しかし、おばあちゃんにうまく説明することが出来ず、少しグダグダになってトランプの終焉が見えた。そこに妹二人がやってきたので自分、妹、妹、いとくんの四人で麻雀をしようということになった。いとくんはもちろん麻雀をやったことがないので、定例の3332の基本的なルールを伝えてとりあえず打つことにした。自分ももっと丁寧に教えればよかったのだが、(妹二人は普通に打たせて、いとちんの手配は開いて数局は教えながら打つとか)久々の大晦日の多幸感に浸ってぼーっと麻雀をうち続けていた。すこしお酒を飲んだのもあるかもしれない。すると、いとちんは自ら麻雀の役を調べだして、(お、熱心でいいね)なんて思っていたら国士無双ばかりねらう、第一ツモ赤五筒ツモ切りマンになってしまったのである。そこで、麻雀のゲーム性としてはすこしつまらなくなってしまうが、それはそれで面白いので「役満縛り」で数局打つことにした。霜降りチューブで見たように、役満成就は3人麻雀でも数局は必要なのに、4人麻雀かつ協力も望めないとなると、今冷静に考えると盛り上がりに欠ける提案であった。しかし、目的は単純なので打ちやすく、「国士狙ってるやん」とか「もうだめだ」とかしょうもない麻雀ノリみたいなこともできて割と楽しく打てた。そうして麻雀を打っていると、年越しそばが配布された。麻雀を打ちながら食べる年越しそばは格別の味であった。
結局、グダグダながらも深夜2時くらいまで麻雀をやっていた。みんなお風呂に入るとか、歯を磨くとか言ってコタツから出ていった。私はそれを傍目にコタツで横になった。テレビの音が耳障り。リビングのライトもまぶしい。もう2025年である。今月で私は23歳になるのだ。サッカーで若手と呼ばれるのも今年で最後というわけである(オーバーエイジを除く)自虐で老害とか言っていたら、母親に失礼だと怒られた。確かにこれは年下にやる自虐ボケである。小さい頃よく潜っていたコタツは、寝返りを打つにも狭くて仕方がない。ああここから自分の家に戻って、歯を磨いて、お風呂に入って、、そういえば友人にLINEでもしないと。欲を言えば誰かからLINEきてないかな。あ、スマホ充電無いわ。充電器もないし。もう寝よう。こんなに寝心地の悪い場所で見る初夢はさぞかし縁起が良いだろうな。うん、そうに違いない。

寝たふりで新年を迎えるなんてあくびがでるわ。朝日が出てしまう前に。

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