年越しはおばあちゃん家だった。おもしろ荘の音声を耳にしながらコタツで一人横になっていた。
これなら起きてテレビを見ていればよかった。腰が痛いだけの時間。
一番中途半端な選択肢をとっていることが分かっていながら、そこから動く気力が湧いてこない。おもしろ荘は、なぜか十九人、スクラップスが選ばれたところは聞いていたのだが、ネコニスズが優勝した時には眠りについていたようだ。寝ているのか寝ていないのかよくわからない時間があって、体を起こそうと思ったときには9時半になっていた。思っているより時間が経っていたので、疲れ等が取れずに時間だけ奪われた気がして悲しい気持ちになった。とりあえず、机の上に広げられた麻雀セットを片付けて自宅へ戻る。あけましておめでとうなど言いつつ、顔を洗って、もちを食べる。
実家の周囲には親戚の家が点在しているので、挨拶に行く。これらの親戚の家は家同士は独立しているが敷地がつながっているので、道路を介さずに庭や木々の間の細道を通って訪問することができる。自宅→おばあちゃん家への道→おばあちゃん家の庭→玄関ではなく細道へ→ひいおばあちゃんの家、とつながっている。すでにひいおばあちゃんは亡くなっているが、旦那さん(すなわちひいおじいさん)が一人で暮らしている。お家に伺うと、ひいおじとその娘さんがいらっしゃった。ひいおじいさんは寡黙で温厚な方で、娘さんは先生をやられていたのでしっかりとされている。私は、実家には時折帰っていたのだが、ひいおじいさんの家に伺うことが殆どなくなっていて実に久々に上がらせてもらった。小学生の頃はおばあちゃんに付いてお線香をあげに行っていた記憶がある。また、とても立派な家で、1階建てであるがとても広く、変わった構造になっているので探検して楽しんでいた記憶がある。とくに、ひいおじいさんの部屋は、家から少し突き出した場所にあって庭が見渡せるというロマンあふれる部屋であった。たくさん本があって、こけしがたくさん置いてあったのが印象的である。
そんな10年以上前の記憶と、匂いもなにもかも変わっていなかった。そうして、久々にひいおじいさんと対面するも特に話すこともない。そこに、娘さんが矢継ぎ早の質問を投げかけてくる。「いまはなんの勉強をしているんだっけ?」「今後のことは考えているの?」親戚といえば、という質問である。正直に何も考えていないことを伝えて、新年も明けたので考え始めようと思います。という不甲斐ない回答でお茶を濁した。他にも他愛ない会話をして、そろそろお暇という雰囲気が流れたところで、ひいおじいちゃんは徐ろに机に手を伸ばし見覚えのある袋を差し出した。かたじけない。ありがたく受け取った。
娘さんには一応、「もう周りは就職してるんですけどね~、てへへ」とかたじけなさをアピールして退席した。
そのタイミングで、サッカーボールを持った少年(小1)がやってきた。彼は、はとこといえばいいのだろうか?数等親離れた親戚は名前すらわからない。自分がサッカーをやっていたという噂を聞きつけて、一緒に遊ぶ機会を狙っていたようだ。もちろん、断る理由もないので遊ぶことにした。懐かしの4号球をひいおじの家の眼の前の庭で蹴り合う。少年はそこまで積極的でないので、会話はこちらから始めなければならない。とりあえず、褒めまくる作戦を遂行した。自分がキーパーをして、そこにシュートを打ってもらう。そのシュート1本1本を色んな角度で褒める。「いいシュート!」「これは試合なら決まってるわ」「ミートしてる」(本当に小1にしては上手だと思う)、、、そこから、普段どんな練習をしてるの?とか、ポジションはどこ?とか疑問形で会話を図る。そうするうちに、なかなかノッてきたのか小1の少年らしい一面が見えてきた。自分の経験をたくさん喋ってくれる感じ。あとは、ボールが木に乗ってしまったときに、木によじ登って「ボルダリングやってるから!」と勇敢に取りに行ったのを見て、なにかノスタルジックな気持ちになった。そこが自尊心となることが痛いほど分かるので、制止する気はさらさら無いし、寧ろすごいと褒めた。もし落ちても大丈夫なように下には立っておいたけど。
既に2,30分ほどやっていたが途中で少年が水筒を取りに行ったところで、これは終わりの見えない遊びだと気付く。そういえば、子供の頃は終わり無い遊びを毎日のようにしていたことを思い出す。暗くなったらとか、親に呼ばれたらとか、外的要因がなければ遊び続けてしまう質である。
やっぱり、小さい子と遊ぶためには対等に楽しまなければいけない。それが一番いい解決策だ。だからといって、こっちが本気を出したら少年はつまらないので同じ目的で対等に楽しむという幻想は一旦消し去る必要がある。でも、心から楽しんでいないときっと容易にバレてしまうので、どんな理由であれ楽しむことが重要だと思う。そう、不純だと感じてしまうような理由でも。ただ、「小さい子と遊んでる俺」みたいな話ではない。それは心から楽しんでいるとは言えない。ここまで言ったが、自分の中でこれといった方法論が確立されたわけではない。こういう気持ちが大切だということである。
盛り上がってきたので、場所を実家の庭に変える。(改めて考えると、自由に使える庭が3つもあるってすごいな)こっちには木もないし、ちょうどゴールエリアみたいな芝なのでサッカーに適していると思ったからである。お昼12時になったら解散しようという取り決めをして、サッカーを再開する。とはいっても、ただボールを蹴り合うというだけである。少年にシュートを打ってもらって、それが隣の家の敷地に入ったりしないように必死に止めるという構図である。この構図のミソは、もし相手が中学生、あるいはサッカー部なら小学校高学年だとしても、このそれほど広くない庭で本気でサッカーをすることは不可能だろう。これは自らの経験に基づいており、よく隣の家に蹴り込んで怒られていたからである。しかし、小1のシュートであれば、かなり上手とはいえ自分の身長を大きく越すようなシュートは滅多にこないし、大抵は止めることができる。故にゲーム性が均衡に達して、少年は本気でシュートを打って楽しめるし、自分はちょうどハラハラするくらいで少年のシュートを止める(本気で止める必要がある)という対等な遊びが出来上がったのだ。1時間くらいやっていたと思う。お昼を告げていると思わしき音楽がなったので、お開きとなった。家まで見送ろうと思ったが、お世話感が押し付けがましいと思ったので手を振るにとどめた。数十メートルしか離れていないので、それほど心配はいらない。
申し訳ないことにお風呂に入っていなかったので、入浴。お風呂から出ると、ボールの蹴る音。そしてインターフォンが押され、妹から「~くんが呼んでるよ!」という伝言。そうか、いや、そりゃそうか。ベランダから「ちょっとまっててねー」と声をかけ、急いで髪の毛を乾かして外に出る。
午後練もみっちりと行い、1時間半くらいでお開きにした。午後は3号球を持ってきていて、もちろんそっちのほうがよく飛ぶのでハラハラ感がプラスされた。少年考案のゲームを行ったり、リフティングでちょっと自分の技術を見せつけたりした。午後のお別れは、親についでに渡してほしいと袋をもたされたのでご挨拶に伺う。自分の親戚の「ひいおばあちゃんの娘の息子さん」にお目にかかれなかったが、奥さんが感謝の意を伝えてくれた。謙虚な好青年を演じた。こういうときは、「いやいや、こちらこそ遊んでくれてありがとうございます」と対等アピールをしているが、これはどう思われているかは分からない。家に戻ってタブレットでゲームをしている妹を見ると、本当に遊んでくれてありがたかったかもしれないと思った。いい運動。
夕ご飯は、父方の祖父母の家で食べるようだ。もう出かけるよ。
父方の祖父母は若い。ミーハーだし、活動的なイメージ。現役で働いているし。
正直メイン孫は、父親の妹の家庭に軍配だが(家が近いのはやはりアドバンテージ)年に数回は顔を合わせる。実家まで訪問して色々プレゼントを渡しに来てくれるし、よくよく考えればすごいことをしていると思う。プレゼントを渡しに来て、家にも上がらず帰っていく。表現が難しいが、面倒だなみたいなことを感じたことがない。それを感じさせていいのが祖父母という存在だと思うのだが、距離感が適切でそこが若く感じるポイントなのかもしれない。いや、、一個怖いのがあるがそれは伏せておく。
到着し、上がらせてもらうと、いつも本当に嬉しいといった様子で玄関まで出迎えてくれる。
リビングには大きなテーブルとそれを取り囲む椅子。シックなテーブルの中心には、みかんの入ったかごが置かれている。落ち着くと洗練されたの中間という感じで、居心地は良い。そして、まだ17時前にも関わらず、晩ごはんの品々が卓上に置かれていく。おせちの重箱が中心に置かれ、おかずは2皿に分割されて左右対称に置かれる。そうして、広いテーブルは豪勢な食べ物達によって埋め尽くされてしまう。それを手伝う隙もなく端っこで妹とみかんを食べていると、父親の妹の家族が到来した。そこで出役はすべて揃ったので、17時すぎにも関わらず食事が開始された。御神酒で乾杯し、手の込んだ食べ物の数々を口に入れていく。スペアリブと大根の煮込みはいつ食べても美味しい。お寿司はさびあり、さび抜きが用意されていて、平野レミがテレビでやっていたという柿が入った漬物、その他諸々すべてが洗練されている。食べ過ぎなほど食べて箸を置く。残った御神酒を飲みながら、ゆったりとした時間を過ごしていたが、なんの流れか急に私の面白い話を聞きたいというおばあちゃんの無茶振りが放たれた。本来は、その無茶振りに対するツッコミで終わればいいだけなのだが、何を思ったかエピソードトークもどきを話し始めてしまった。その話が見事・・外れまして、なのでもし私が軌道修正しなければ、めちゃくちゃスベったことになるんですけども、、スベって終わりました。うまく話せなかった!って悔しがるという子どもみたいな逃げ方をしました。最悪の年明けです。今思い出しても恥ずかしいです。
もっとトークに磨きをかけて来たるべき時に話せるようにしようと思いました。(実はその話を文章で書き出したことはあった)すこし落ち込んだ後に、食事は終了となり、大富豪大会が始まりました。これも自分がやりたいみたいな感じで始められて、少し恥ずかしかった。一生懸命ルールを説明して仕切っている時点でそうと言われればそうなのだが、各々でスマホいじっているよりはいいだろうと自分に言い聞かせて皆を巻き込む。人数が多いので、同じ種類で後ろの色だけ違うポーカー用?みたいなトランプを混ぜて行うことにした。つまり2組のトランプ104枚で行う大大富豪である。ルールは7渡しと革命とスペ3返し、階段をありにして行った。おじいちゃんはおじいちゃんらしく、最初っから2を出したり、ルールと反するプレイングを見せたりして場を盛り上げてていた。かと思えば、革命を起こして最初の回を一抜けで上がった。盛り上げ上手すぎる。自分と妹らは陰湿な作戦でパスを繰り返し、あの独壇場の時間が来るのを見計らっていた。大体均等に勝ったり負けたりして、なんだかんだで結構盛り上がった。おじいちゃんは最初の方はおとぼけプレイをしていたが、後半になると中々巧みなプレイングをしていた。一方で、デザートやコーヒーを用意してくれていたおばあちゃんが途中参戦し、おとぼけバトンを受け取って、最後の最後まで注目の的になっていた。というわけで、(胸を張って)私が発案した大富豪パーティーはかなりの盛り上がりを見せたのであった。トランプは偉大。
お開きムードで、冷めたコーヒーを啜りながらトランプを片付けていると、お待ちかねの時間がやってきた。そうして年長者の私がお呼ばれして、心躍る長方形を受け取った。祖父母、そして父親の妹夫婦、両親からもいただいた。かたじけない。最後に記念撮影をして、お開き。時刻は10時を回っていた。中身のありすぎる一日だった。帰省はこれだからやめられない。
暫定の書き初め候補は、「エピソードトークを磨く」である。
いや、「早寝早起き」も捨てがたい。
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