2024/11/15

今日は研究発表の日である。いつもであれば早起きしてカフェのモーニングを食べながら作業するのだが、なんだかやる気が出てこない。LINEの星座占いが星1であるのが目に入って気分が悪い。
なんとなく敷布団カバーを洗おうと思って洗濯機を回す。ついでに毛布もいっしょに洗おうと、洗濯機に突っ込む。コーヒーを飲みながら矢野競馬の動画を見ていると、洗濯機から異音が聞こえる。
さらに数分立つとまたもガタンという異音が聞こえて、エラーの警報音が鳴り響いた。洗濯機を開けると毛布が水を吸って重くなっていて、それが原因で洗濯が中断されたようである。敷布団カバーだけ洗えば良いものを、欲張ったがために面倒な事態に発展してしまった。でも、脱水しないと乾く気配がないので、洗濯機を押さえながら脱水を開始。最初は例の異音がガタンガタンと鳴っていたが、円運動が加速しだすと、遠心力で毛布が側面に引きつけられて洗濯槽を揺らすことがなくなった。なんとか洗濯を終えた頃には11時半になっている。発表は13時からで、プレゼンテーションは完成していない。また醜態をさらす予感がするが、最後まで粘る。そうしてなんとか作り上げたプレゼンテーションであるが、なんとか形は保っていると思う。今回は自分で考えたシミュレーションを動かして、それに対する見解を述べるなどしたので少なくとも前回よりはよいと思う。そう信じている。が、うまくいかないのが人生。プレゼンはハリボテでしかなかったのだ。そのハリボテをいとも簡単に見破られて、自分はほんの少しの努力で作り上げたそれを悪くないものであると信じて疑わなかったのだ。ハリボテと思ってハリボテを作ったのではなく、しっかりとしたものを作ろうとしてハリボテを作っていたのだ。そうだ。よく考えればそうだ。みんなは毎日研究して、数日、数週間前からプレゼンテーションを用意して発表しているんだ。いや、本当に能力のある人なら自分と同等の作業量で大きな価値を生み出せるだろう。しかし、この無能が付け焼き刃で行った研究など、全く価値のない、無意味なことなのだ。恥さらしだ。これを堂々と研究成果だと言えてしまう自分を恥じるべきだ。しかし、発表の場ではそう冷静にはなれない。自分を否定された気持ちになり、すべてを投げ出したくなった。強がっているのが見え見えなへんてこな態度をとって退却。自分の醜態を客観視、あるいは自分が可哀想で涙が溢れてきた。この悪の循環はなんだ。醜態が起因して醜態をさらすなど。幸い、それが溢れ出たのは自席についてからであったので波紋を呼ぶことはなかった。こんなのがゆるされるのは、小学生までだ。小学生のほうが頑張っているし。情けない己を自責する時間が始まってしまい、今日は完全に持ち直すことが出来ないところまでうつ状態になってしまった。言い訳は無限に生じるが、いちいち全てに対して反論して自責に持ち込んでしまう。すると、前思っていたよりも自責の念が強調されて更にしんどくなる。
なんでこんなに俺はだめなんだ。だめなところを教えてくれるような人もいない。教授は俺のことを完全に見放して軽蔑している。そんな人に対して頑張ろうなんて思えないだろ。いや、そもそも自分の態度が悪すぎるし、研究室にろくに来ない人に対していい印象を持ってもらおうというなんて都合良すぎだろ。絶対悪口とか言われてる。それで、みんなに忌避されるようになるんだ。いや、そんなのなくてももともと忌避されるような人間だろ。努力してない時点で白い目で見てるだろうし。みんな楽しそうに話していて、その声が聞こえる度に胃がムカムカとして吐き気を催すんだ。だから研究室に行くのが億劫なんだ、イヤホンをつけているがそれも態度悪いし、声高にノイキャンを貫通してくるし、笑い声なんかが聞こえてきたら、何楽しそうにしてんだよ。こっちはこんなに楽しくない人生なのにと苛立ちをおぼえる。でも、間違ってるのは明らかに自分だ。本来研究室はそうであるべきだし、むしろ素晴らしい環境なのだろう。楽しくない人生にしてるのはお前、他の人は関係ない。わからない。どうすれば楽しく生きれるのか、何を捨てれば良い?何を変えれば良い?誰か教えてくれよ。わからないから辛いんだ。研究も何をすればいいかわからない。わからないことだらけで考えても考えてもきりがない。わからないという言葉しか浮かんでこない。独り言でもわからないとばかり行っている。わからないということの無意味さはこの上ないが、それは誰かとかインターネットとかが教えてくれるものではない、自分が納得するような方法や行為でなければならない。だから、どのわからないことをどれくらい考えて、自分が納得できるような答えが出せるか、その行為を怠り続けている。あるいは処理しきれない領域に達してしまっているのだ。わからない、わからないと喚いてわからせてもらえることを待っているだけだが、絶対に解答は自然に降ってくることはない。ちゃんと考えてまとめて、端的に常に理解できる形にして自分の中で持って置かなければならない。冗長なフローチャートのように頭の中で細かく順を追って論理的に考えても、絶対にそれを覚えておくことは出来ないのだ。だから堂々巡りになって、結局おんなじようなことを考えてうやむやで終わってしまうんだ。
こうやって文にしておけばいかに文章が支離滅裂でも、頭の中でぐるぐるぐるぐると考えているよりは数段マシである。色々考えているようで自分を蔑み続けている時間を終えて、今日は17時からバイトなので気持ちを切り替えて、ご飯を食べにゆく。もう16時になるが、カレー屋にいって特製チャーハンをたべる。チャーハンと行っても想像するような卵、ネギのものとは大きく異なり、まずお米はバスマティライスである。バスマティはパラパラしているし、チャーハンにかなり合うと思う。なんなら、日本米よりも適しているのではないかとさえ思う。バスマティ、エビ、人参、その他諸々が入っていて、おそらくナンプラーであろう香りがかぐわしい。味はかなり美味しい。しかしいい値段である。チャーハンのみで1000円弱。それならビリヤニを食べるわ、となってしまう。まあ、普通のチャーハンと比べて材料費はかかっているが、中華屋特有のスープ的なものもついてこないし、カレー屋につきもののオレンジドレッシングサラダもついてこない。卓上にはお皿と水だけで、ホールで働いていたらこんなに片付けが楽な客はいないと喜ぶレベルである。でも、気になったものは食べずにはいられないので今後食べる可能性が低くても、そのことを知れた価値があるので全く問題ない。
食事を終えて家に帰ると16時半。干していた毛布と敷布団カバーを片付けて、急いでバイトへ。
バイトは途中まで普通だったが、大人の人に何かを軽く注意されてやる気を失ってしまった。我ながら悪い意味でのZ世代すぎると思ったが、もともと発表がうまくいかなくてギリギリの表面張力で成立していたものが溢れ出してしまって、終始ローテンションだった。その態度がまたも注意を誘って、さらにローテンションになって、と悪循環。終わってから考えると子供じみた行為である。怒られて、ふてくされて、社会に存在してはいけない人間である。もし次回あったときは、謝罪をしたいと思う。やはり他人に意味不明な期待を寄せてしまうくせをやめなければならない。一人でいすぎて、妄想が激しい日々を送っているゆえの癖なのだろう。帰るといつもに増して疲労感が襲ってきた。筋トレをせずにお風呂に入ったのは賢明な判断であったが、その後に日記を書き始めたのは大失敗であった。歯も磨かずに寝落ちしていた。そろそろ歯医者もいかなければ。親知らずが痛むその前に。

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