電車で席が隣り合っていたところに、電車が到着した直後に横の端っこの席が空いたとき、そこに詰めるべきか?どうせこの駅で誰かが乗ってくるのにわざわざ移動したということは、端っこがどうしてもいいのか、私の横が嫌なのか。私は考える必要のないことまで考えてしまうので、横の席が空いても逆横の人に「俺の横がいやなのか?」と思わせてしまうかもしれないと考えて、移動したくても移動することが出来ない。横が空いたことに気づいていないような感じで本に集中する。逆に「おまえの横嫌だから、早く移動しろよ」と思われているかも知れない。でも、この場合の悪役は100%自分になるので問題ない。「ごめんなさい。気づきませんでした」の精神でいれば良いのだ。でも、これが移動した場合は、読書をしながら「あの人は嫌な気持ちになったかな?」とか移動した言い訳を、発するわけでもないのにくよくよ考えて読書に集中できなくなってしまうので、自分の精神上でもそうするのが吉なのである。
今日はアクティブな一日になるだろう。
下北沢には~分でつくから、13時位につけばいいとして、そしたら何時にでて、、
下北沢なんてあまり行く機会もないので、早めについて街をぶらぶら歩くのも良いのだけれども、睡眠時間を削ってまで行うことかと言われれば首を横に振らざるを得ない。
結局、ライブ開始直前に到着する電車に乗ることになる。家から最寄り駅までだいたい徒歩10分だが、いまだに何分前に出ればちょうどいい感じに駅につくのかがわかっていない。こういう時間のゆとりみたいなのが、自分の人生がうまく行っていない要因なような気がする。(そういえば小学生の頃から登校班の集合が苦手であった)今回は安売りしていた株主優待券を使って電車に乗る。そこまで運賃がお得になるわけではないが、来たるべきときの経験として優待券乗車を行ったほうが良いと思ったまでである。
下北沢に到着すると、ライブの開場30分前で、昼食をとるにはどこも混んでるし微妙な時間だな、、と会場付近をウロウロしていた。すると、喫煙所だと思っていたところが、休憩スペースで(むしろ喫煙は禁止されていた)そこに座って読書をして時間を潰した。
開場5分前に到着すると多くのお客さんが既に待っていて、チケット順に整列されていた。TIGETというサイトのチケットなのだが、私はチケット画面のGoogleカレンダーへのリンクに書かれている「31」が整理番号であるとずっと勘違いしていて、整理番号「31」の場所にいたのだが、開場してそろそろ呼ばれるというところでチケットを開くと整理番号が「14」であり、「うわ整理番号こっちかい、こんな早かったなら最前列座れたのに」という思いと、「逆に31より遅い番号だったらめっちゃ恥かいたわ、助かった」という思いが錯綜し、動揺して、当日払いの現金2000円を支払うのに手間取ってしまい結局恥をかくことになった。
お笑いライブは最高に面白かった。霜降りの単独みたいに、もっと売れてしまったら倍率がすごくなって生で見ることが難しくなるかも知れないので、今のうちに多くのライブに足を運んでおきたい。
お笑いライブで思いっきり笑うのは、恥じらいとか緊張とかで(心から面白いと思っていても)あまり出来ないのだが、今日はすべて声を出して笑った気がする。とくに3本目のネタは家くらい笑った。
よく芸人の方が「今日のお客さんは重かった」というのを聞くと、かなり責任を感じてしまう。やっぱり面白いと思ったその分だけ声を出して笑わないといけないなと。こんなことを考えている時点でお笑いを見に行く資格はないのかも知れない。劇場で何も考えずに面白いことに対して自然に笑える人が本当に羨ましい。
ツボにはまって笑いから抜け出せなくなったときは反射的に声を抑えてしまうし、変な声で笑ってしまったときはそれを引きずってその後の笑いが不自然になったりする。ちゃんと笑おうという意思を持ってライブに挑んでも、変な緊張感を持ってしまって自然に笑えなくなるし、横の人が笑ってなかったら自分の笑い声が控えめになったりする。
あとはベタな話であるが、拍手笑いである。面白いときに拍手をするという文化が自分に根付いていないので、ネタ中に息を合わせたように拍手が巻き起こると自分だけ場違いのように感じる。かといって、呼応したように拍手をしても、それは自身の意思で起こしたものではないので不自然になる。
どうすれば、拍手ぐせが身につくのだろうか?誰かを褒めるときに「すごーい」と言いながら拍手するのは相手が馬鹿にしていると感じないか?というか、拍手があまり好きではない。手が痛くなるし、どれくらい持続させればいいかわからないし、基本は5回とか決めておいてほしい。もちろん、登場時や自己紹介後、ネタの終了時は拍手する。それくらいはライブを見ていくうちに学んだ。でも拍手笑いのタイミングや意図は未だに良くわからない。自分の手を痛めつけることで、「自分を痛めつける価値があるくらい面白い」ということをアピールしているのだろうか?世代の違いというのはあり得るだろうか?自分はお笑いを見に行く人の中では若いほうだと思うので、上の世代では拍手することが最高の賛辞であるという教育を受けていたのかもしれない。動詞の意味で、色んな意味があるけれどこの意味は最近じゃ使われなくなった、みたいな感じで拍手の発動条件にも「笑いが高じたとき」というのがあったけど最近は使われなくなったとか。
とにかく、ガクヅケのライブが(現状)行われれば見に行けるというのはしあわせなことである。
だからこそ、自分は模範客になりたいのである。
物販ももちろんできるだけ購入したい。トマトは毎朝トマトジュースを飲むくらいには好きなので、自分の趣味にあっている。そういう関連付けをしないと何かを買えないというのは、あまりファンとしては良くないかも知れない。実用性とか、そういう思考は捨てるべきなのだ。以前、タイに行ったときにチップ文化ということを知り、いくらかチップを支払った。その中で、古式マッサージは満身創痍の体に染み渡り、チップを嬉々として払わせていただいた。義務とするのは良くないが、自分がいいと思っただけチップを渡すというその感覚で物販も買うべきだろう。(気合を入れた物販には失礼な表現かもしれない)むしろ、対価として商品を受け取れる分お得である。
しかし、私はいかんせんお金がないので実用性のあるものばかりを買い求めてしまう。でも、お金にゆとりが出来たら、「対価」はしっかり払っていこうと考えている。
既に一日の平均幸福度を大きく超えてしまったが、一日は長い。
お昼ごはんを食べようと歩いていると、雰囲気のある中華料理屋さんを通り過ぎた。
気になって調べてみると「珉亭」はかなり歴史のある町中華で、いつも混み合っている人気店。ということで、引き返してそこで昼食にすることにした。どうやらピンク色のチャーハンが有名なようだが、ごはん類は一時完売ということで江戸っ子ラーメンと餃子を注文した。接客の方は、物腰柔らかなおじさんでごはん類が無いことを(店外にもその旨を掲載しているにも関わらず)入店のたびに説明されていて、それほどチャーハンが人気なのだろうということと、店構えと親切心のギャップがこの店の良さを際立たせていた。江戸っ子ラーメンは大きな丼に入っていて、上にキムチが乗っていた。最近自分はキムチがあまり好きでないことに気づいたのだが、それはスーパーにおいているぬらぬらした赤いキムチのことであり、このラーメンに乗っているキムチは美味しいと感じた。餃子もとてもおいしく、いろんな調味料で食べた。
お金がないといいつつ、食に対する浪費は著しい。この中華ランチでも1500円ほど使ってしまった。その後で、ちょっと休もうとウェンディーズに入る。もうお腹いっぱいなのに、クーポンがあったので白玉ぜんざいと抹茶ラテを注文。別腹なので問題ないが、食べ終わると目の奥に違和感を感じ、その後頭が痛くなってきた。笑い疲れからか片頭痛が発症したのだ。このあとにバイトが控えているので一刻も早く治す必要があるが、手持ちの頭痛薬を切らしていてどうすることも出来ない。とりあえず、家に帰ることにする。電車は間の悪いことに座れる席が空いておらず、吐き気と頭痛に耐えながら立っていた。すると、途中で特急との入れ替え?で多くの人が降りていったので座ることが出来た。
こっちの電車のほうが着くのは遅いが、座る重要度のほうが高いので向かいの電車に向かう人々を傍目に席にうずくまった。こういうときに理性が失われて客観視ができなくなるので、こめかみを強く押したり目頭を抑えたりして、めちゃめちゃ頭痛いアピールしてる奴みたいになっていた。こんなやつの隣には座りたくないだろう。こういう子供じみた行為には気をつけないといけない。
無事に最寄り駅に着き、家につくとナロンロキシーを飲み、部屋のカーテンを締め切って、敷布団のないマットレスの上で毛布をかぶった。頭痛のピークでは頭が痛いという感情しか湧き出てこない。なので、頭が痛いアピールではなく頭が痛いという言葉を発する他にない状況なのである。もちろん、誰かが慰めてくれれば嬉しいが、それで頭痛が軽減するわけでもない。
逆に、その場に直面した人にどういう行為をとってもらうのが嬉しいだろうか。
光や音がしんどいので、あまり大声で語りかけるのはやめてほしい。囁いて慰めてもらうとかが一番うれしいだろう。こんなしょうもなく、高尚な妄想は健康だからできるのだ。
気づけば眠っていて、はっと起きたときにはバイト20分前であった。
起きた後に首を振って、頭痛の片鱗が無いかを確かめる。片鱗がないと、睡眠と薬ってすごいなと感じる。ご飯を食べる暇もないので、バイトへ向かう。金曜日に不機嫌にしてしまった方がいたが、年上で謝れる感じもないのでいつも以上に真剣に仕事をして誠意を見せた。やっぱり自分にだけ冷たい感じがする。さみしい。
ライブが終わってしまったが、来週はチンチロで高校の友人と久々に会える。2ヶ月遅れの誕プレ、何を渡すか早急に決める必要がある。
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