日記って毎日書く必要があるのだろうか?
この日記は11/24日の朝に書いている。漫画を買うなら1巻から揃えたい、みたいなこだわりが自分で自分の首を締めている気がする。3日前の出来事なんて覚えていない。こんな思い出し作業をするのは、自分の記憶力チェックをするときくらいである。
そうか日記って、その日のうちに書くものなのか。どうしてこう、習慣化ができないのだろう。久しぶりにあった友人は毎朝お昼ごはんのお弁当をつくっていて、半年以上継続しているという。
自分もそれをやろうとしたが、2日で諦めた。
可能性は2パターンある。自分がこういった単調な継続が生来的に苦手であるという可能性と、実は誰でもできるのだがそのやり方がわかっていないという可能性だ。日記は自分の中では継続したほうで、約1ヶ月毎日分書き連ねてある。でも、書き始めるとどうしても分量が多くなる。ひとつ継続しない理由は、自分の完璧主義のせいだと思う。往々にして避難される完璧主義は、自分もその非効率性を重々承知しているのだがどうしても辞めることが出来ない。
完璧主義の悪いところが出ていると気づきながらも、それを発揮し続けてしまうくらい頑固にこびりついた特性となってしまっている。1回休んだらもうどうでも良くなる、1回間違えたらやる気が無くなる、そうやって20年以上生きてきてしまったのだ。
継続出来そうなプランをあらかじめ立てて実行するのが賢いのだろう。
自分は何でも思いつきで始めてしまう。日記も分量を少なく書くというふうに最初から決めておけば億劫にならずに済むのに。日記を書くのにいつも30分以上はかけているので、寝る前にやると寝る時間がみるみると削られている感覚になるので嫌なのだ。
今日は2限を飛ばして、バーガーキングに行った。KYOTOバーガーを食べた。店内飲食にしたのだが、テイクアウト用に用意されていた。しかし、わざわざそれを伝えるのもお互いに面倒なのでそのままイートインスペースに向かった。別に誰に見られているというわけではないが、テイクアウト用の袋をテーブルに乗せて飲食している自分の立場をちゃんと言い訳したい気分であった。これは自分の意志でやったのではなく、間違えてテイクアウト用で用意されていて、それを伝えてわざわざ店内用に乗せ替えてもらうのも手間なのでこの状況になっているんです。一見、非常識に見える人の行動もそういう裏があるのかも知れませんよ、でもみんながそうやって考えてしまうと本当に非常識な人が摘発されない低治安な世の中になってしまうので、これは誤解を招かないような行動をすべきなのかも知れないと。だったら、店員さんには手間がかかるけど店内用にしてもらうべきだったかも知れない。そのとき店員さんは「何だよ面倒くさいな、そのまま店内で食べればいいだろ」と思うかも知れないけれど、それはこういう考えがあってやっているのであって、自分も別にそのまま食べてもいいと思っていますよと言い訳したくなる。なんだこれは堂々巡りではないか。
いろんな考えの人がいて世の中の均衡が保たれているのなら、深く考えすぎないほうがいいのかもしれない。KYOTOワッパーは高くて美味しかった。
日記なんてこんなもんでいいのだ。
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