2024/11/28

洗濯物を干して午前中に家をでる。
2限は既に撤収したようだ。仕方なく研究室へゆく。
研究室は珍しく空いていた。空いているので、居座らせていただいた。
教授が途中で入出したが、まるで(私がいる)この空間の空気をひと吸いもしたくない、という勢いで部屋をあとにした。これは、当然っちゃ当然なのか?でもそれは自分だけに対するアレで、、いや、そうでもないのか?誰かに嫌われるのがすごく嫌なくせに、なんでこうなってしまうんだ。
私は何もわからない。自分が他人にどのように見られているのかが全く掴めていない。めちゃめちゃやばいやつとか、気を遣うやつとか、生理的に無理とか、態度がめちゃめちゃ悪いとか、とにかく何かしらのネガティブなイメージを持たれているとは思っている。相手から話しかけられれば、愛想よくできるのだが、そこに達する前になにか大きな穴を作り出している気がしてならない。
しかし、これも傲慢な考えである。普通の人は、普段から好印象を抱かせるような雰囲気を纏っているのだ。そういう努力をしないで、ネガティブなイメージを持たれているという妄想を抱いて、勝手に落ち込んでいるのは阿呆としか言いようがない。ここまで脳内で考えることはできるのだが、ずっと愛想よくなんて不可能だ。あの人はなんでずっとあのテンションを保てるのだろう。
最近、自分の性格や態度の変動についてどのような表現が適切であるかがわかった。
よくある表現は、裏の顔である。しかし、私は裏の顔という感じではないのに、態度は気分によってかなり変化するのだ。そこで、性格や態度をベクトルで表す事を考えた。裏の顔は異なる向きのベクトルが2つ以上あって、それらを使い分けているという感じである。一方で、自分はそのベクトルは1本しかないと思う。性格を使い分けるのは疲れるし、多分無理だと思う。では、なぜ変動するか。それは、ベクトルの大きさが頻繁に変動するのである。裏の顔との違いは、自分で制御できないところである。自分の内なる気持ちはずっと同じで、ベクトルが小さくなったときには、今の自分の態度がまずいという自覚は持つことができる。本当に自分がしたい態度と、実際に出ている態度に大きな乖離がある。
そして、ベクトルを大きくすることはまあできない。そうしたら「自分」という枠から外れて、制御不能になってしまう。
書いていたら、あんまり対した比喩でもなかった。いい感じにバズりそうな表現だと思ったが、そんなに甘くない。

課題を終わらせる。3時間くらいやって、お昼ごはんにピザハットを注文した。ブラックフライデーみたいなのでmサイズが1000円くらいで買えた。ママタルトの檜原(敬称略)が出していた動画が頭の片隅に残っていた。ハラペーニョソースを絶対頼むべしと。あとはプルコギのピザを推していたが、一番安いやつには入っていなかった。家で食べようとしたが、持ち運びが大変なので公園で食べることにする。できるだけ人気のない公園を探して、よくある屋根付きの休憩所のような場所でピザを開く。
ピザを食べるのはかなり久しぶりだ。いや、この間ジョリーパスタで食べた。このサイズを食べるのは数年ぶりだろう。ひとり、寒空の下、公園でピザを頬張るのは虚し恥ずかしいが、味はたしかに美味しい。そういえば、セブンの冷凍ピザも最近食べた。でもやっぱり違う。こっちのほうが具沢山で、チーズたくさんで美味しい。本格的なピザよりもこういうピザを求めていたことに気づいた。余裕で1枚完食した。箱を何処かに捨てたいが、大きくて仕方ない。頑張って折りたたんで近くのコンビニにでも捨てようと思ったが、少しためらう。自転車を漕いで、商業施設が立ち並ぶ空間に置いてあるゴミ箱に捨てた。家に帰ろうとしていたが、どうせ集中できないので、マックで作業することにした。マックでコーヒーだけ買って採点を行った。タリーズとか、上島珈琲とか候補はあったが、結局マックが安く居座れる。その後はジム行ってサウナ。こうやって文章にするとなかなか多く行動をしているように思える。
お風呂は脱毛していることにより少し恥ずかしい。ふと下が鏡に写ったときに子どもみたいだった。
自分は基本隠しているのでお目にかからせることは無いが、こっちは浴槽からあらわなものを観察している。正直きたねえという感想しか持てない。子どものものが自分の美意識からは良いと感じる。なので、先程の自身への感想は自画自賛ということになる。自分が享受していないことによる考えかも知れないが、小さければ小さいほどいい。ここが最大の理由として抗アンドロゲン剤を飲んでいるのはまた別の話。これはまた長文で書き連ねたい。アイデンティティですらある。
人間の本能に関わるところを変化させて、それをアイデンティティにしてしまうと人生に大きな支障をきたす。そいつが誰かと比較なんてしてはだめだ。苦しむ運命なんだ。なにか詩的な文を書きたい。

大きく道をそれたけど気にせずに歩いてる
でもちょっと怖いから、たまに地図を見たりする
多分引き返せると、楽観的に歩き続ける
遠くに高い壁があるように見えるのは気のせいか?
歩く速度を緩めたり、遠回りしたりする
本当に見たい景色はこの先にあるのかなあ
その景色は価値のあるものなのかなあ
道をそれたことを言い訳にするのは違うよね
仲間がほしいな 夜が長く感じる
でもいっぱいはいらない たった一人でいい
今日はもう眠いので寝ます

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