2024/12/11

今日は昨日に引き続き人と会う予定がある。
どうやら父親が東京に用があるようなので、ついでにご飯を食べに行こう。さらにいえばお笑いライブを見に行こうという話である。
私はいまやお笑いが大好きで、芸人のラジオを毎日欠かさず聞き、好きな芸人のライブがあれば駆けつけるといった様であるが、その形成には父親の影響が大きくある。
つい5~10年くらい前までは最近に比べて、エンタメがテレビに集中していたはずである。
そのため、エンタやゴールデンのバラエティを見ている人は多かったと思う。私もその例にもれずにたくさんのテレビ番組に釘付けになっていたが、それに加えて深夜バラエティーもよく見ていた。
そのきっかけは、父親が録画しているのをなんとなしに見始めて、「何だこの面白い番組は」となって自発的に見るようになったという流れだと思う。
その中で印象に残っているのは、内村テラスに粗品がピンで出演していた回である。
粗品がフリップネタを披露した瞬間に、ずっと探していたものが見つかったような感覚に陥ったのである。それは、ネタの面白さももちろんそうであるが、以前自分が小学生の頃に粗品のネタで「大人の2乗!」というものを見て理解できずに、親にその意味を聞いて初めて累乗の概念を知った、まさにあのネタがこの粗品というピン芸人のネタだったんだと、数年後越しの出会いがあったのである。
調べると、内村テラスに出演していたのは2017年の1月でM-1優勝の約2年前である。思ったよりも、M-1直前であったがそこから私は霜降り明星を知っていて、好きだったんだという心底のマウントが自分のお笑いへの造詣の深さを担保している。
それはさておき、そんな父親を私のお笑い熱が追い越してしまったのはとうの昔の話であるが、父親は遠隔お笑いファンであり、劇場が近くにないというだけでお笑いへの傾倒はかなりのものである。お金をかけない中では、最大限にお笑いを享受していると言えるかもしれない。もう、40代中、後半の歳でありながら真空ジェシカのラジオやラランドのラジオを聞いている。もちろん、三四郎やTBSのラジオも聞いていて、ラジオに限って言えば私よりも遥かにたくさん聞いている。なので、ラジオの話題を出せばたいてい通じる。世間的にはどれくらいの割合でお笑いが好きな人がいるのだろう。それは、柔軟な新しいお笑いに寛容で、ある程度情報を追えている人という意味である。他の定義で言えば、能動的にお笑いに触れる人、すなわち違法アップロードされるもの、勝手に流れてきたものではなく、見たい番組を自分の意志で選んで正式な手順でそれを享受している人。Youtubeのお笑いコンテンツも意外と追って、動画すべてをちゃんと見ている人は少ないような気がする。
それはさておけていなかったが、一応研究室に行ったが大したことはせずに一日の内容の比重が夜に寄っていることを感じながら帰宅。途中でオーケーストアに寄って、人生で一番スーパーでお金を使った。10%還元というのに眩んで、これみよがしに冷凍食品やパックご飯、大容量パスタなどをかごに放り投げていったら3000円近いお会計になってしまった。流石にそこまで行くと思っていなかったが、これも物価高の影響だと腹をくくってpaypayの音を鳴り響かせたとさ。
父親は18時には劇場の近くにいるという。開演は19時なので、それまでの時間なんとなく会話できれば良いなと思っていたが、ダラダラしていたら18時着の電車はとっくに過ぎていて、乗った電車は18時30分着の電車。開場は18時45分までなので、それまでどこか暖かい場所で待っていてほしいと思いつつ電車に揺られる。駅に電車が付き、劇場まで早足で向かう。新宿マルイの最上階にある劇場で、その階で待っているだろうとおもっていたら、マルイの入口に見覚えのある風体があった。寒い中で外で待たせてしまっていたのだ。会うのは今年の9月ぶり。この頻度はどうなんだろう?大体3ヶ月に一回くらいの頻度で数日間帰省したり、一日だけ会ったりしている。社会人になったらもっとその頻度は減ってしまうのだろう。エレベータで最上階に上がり他愛のない話をしているとすぐに開場した。
父親は時間があったので、今までの時間は映画を見ていたようだ。その見ていた映画は運良く自分が以前見た「正体」であった。なので、その感動を共有できたが、何故かそこでドラマ版の存在を口走ってしまった。見た直後でその映画の余韻が残るところにドラマ版が存在し、さらにそっちのほうが面白いという意見があることまで口走ってしまったのだ。せめて、夜ご飯のときに言うべきだったと反省した。そうこうしているうちに、開演。つい先日、M1決勝進出を果たした真空ジェシカが目の前に現れた。トーンやら風貌がラジオやテレビで見ている通りで、ミスチルのライブみたいだった。父親は劇場で気兼ねなく笑えるタイプであることがわかった。日々の生活から逸脱したこの場を最大限に楽しんでほしいという、謎の目線でその笑い声を聞き取っていた。
ライブはとても豪華だった。ラバーガール、真空ジェシカのOPトークから実力派の若手のネタ、中盤にザ・マミィとトンツカタンのトーク、後半は有名どころがネタをして、全員集合のコーナーとエンディング。やはり、真空ジェシカのネタは圧倒的だった。ライブビューイングでもそうだったが、笑いを制御できなくなる面白さがある。子供の頃に怒られて泣いたときに、その泣き呼吸をやめれなくなる感覚に近い。理性ではこれ以上笑ったら恥ずかしいと思うのだが、笑いを抑えることが出来ない。銀シャリ、ガクテンソクを生で見たときもこうなった。あとはキングオブコント予選のスリムクラブ、TCクラクションのネタも抑えられなかった。こうなると、ライブ後の満足感は段違いになる。サウナのととのうみたいなことだと思う。
終演は21時前で意外にも2時間くらいの長時間ライブであった。事務所ライブはもっとコンパクトなライブだと勝手に思っていた。父親が目星をつけていた牛カツの店はラストオーダーが過ぎてしまっていたので、新しくどこに夜ご飯を食べに行くか決める必要が出てきた。
ここは新宿で、牛カツということは肉を食べたい気分ということだろう。ならば、新大久保のほうに向かって焼き肉を食べるのはどうだと。そういう話になる。そこで、有田脳で話されていた「チャドルバギ」というワードを思い出した。父親は有田脳が説教臭いと言ってたのを思い出して、もしかしたらその回を聞いていないかもと思いつつもその提案をすると、俺もそれ考えてたよ、みたいなトーンで受け入れられた。ということで父親がgooglemapで見つけてくれた、チャドルバギのある韓国焼肉屋に決定。新大久保の大通りに面しているような黒ベースのイケイケな焼肉屋ではなく、ゆったりとした簡素な空間が広がる焼肉屋。アパートのようならせん階段を登った2階にあることも起因しているだろう。
メニューは簡素で、新大久保特有の肉は2人前以上からという文句は例に漏れずに書かれている。父親は早々に店員を呼び、チャドルバギ2人前とサムギョプサル2人前、あと辛いスープみたいなものを注文した。正直もっとちゃんとメニューを吟味したかったが、優柔不断な自分が選んでいると埒が明かないので経験則からそうしたのかもしれない。あるいはめちゃめちゃお腹が空いていたか。
父親はお酒が飲めない体質なのだが、ビールを注文した。心配だが、意向を尊重。自分はなんちゃらマッコリを注文した。よくよくメニューを読むと肉2人前は全部合わせての話で、例えばチャドルバギ1人前とサムギョプサル1人前でも良かったようだ。それならもっと色んな種類食べたかったなど思っていた。先の到着はチャドルバギ。薄くて丸まった牛肉にキャベツやニラを巻いて、ポン酢のようなあっさりとしたタレにつけて食べる。なるほど。期待値を上回ることはなかったが、牛肉の新しい美味しい食べ方としてありだと思った。でも牛肉を食べる機会なんてあまりないので、焼き肉にしょっちゅう行くような人が喜ぶものなのかな、とか歳とかで胃が持たれる人には良いのかもしれないと思った。そういえば友人が脂っこいのが嫌だと明言しているので、もし焼き肉の機会があればこれをおすすめしてみよう。サムギョプサルは美味しかった。そりゃ人気だと思った。一人では注文できないので、また誰かと食べに行きたい。辛いスープは微妙だった。豚足みたいな食べづらい肉がドンと入っていて、それに苦闘している間にスープが煮詰まって、濃くなって、手を付けられなくなった。最後がこれだったので、なんか後味悪い感じになってしまった。でも、今後このスープを頼まなくて良いとわかったので良かった。別に味も美味しかったし。チーズを入れると良かったのかもなど、反省会を行った。
昨日に引き続き、お腹がはち切れそうになりながら完食した。やっぱり食べ物を残すのは自分のポリシーに反するので無理してでも口の中に押し込んだ。でも、煮詰まったスープは少し残させてもらった。追加した豆腐はちゃんと完食したので。追加でシャンディガフを飲んで、その炭酸で更にお腹が膨れ上がったところでおあいそ。食べ過ぎで吐きそうになって、小学生の頃に食べ放題ではしゃぎすぎて帰ってからもどしたことを思い出した。何も成長していない。父親は最寄りの新大久保で乗れるが、新宿まで歩くのに付き合ってくれた。4枚重ね着している自分がめちゃめちゃ寒がっているのに、父親は一見薄着の見た目で全然寒そうにしていない。どうやら、夜中に外で作業をしているうちに慣れたらしい。父親は夜勤、昼勤入り混じった勤務形態で働いていて、それは自分が小さい頃からずっとそうである。
その生活サイクルの乱ればかりに気を取られていたが、そのうえで、深夜の一番寒い時間に外で働いているなんて体を張りすぎている。ぬくぬくと布団にくるまって(大したこともせずに)就寝し、日が昇ったあとでも布団から出るのを億劫そうにしている自分を見たら、ぶん殴りたくなるのではないだろうか?あまりにも私は、父親の働きの対価を享受しすぎている。もっと、父親自身が楽に幸せになる方法は無いだろうか?実家での暮らしは贅沢と言っていいほどであった。立派な一軒家を立てて、車をローンで買ってそれを盗まれて、、父親はイケメンである。無理ない範囲で働いて、健康的に暮らしてほしい。それを言えるのは自分が暮らしを担保できる様になってからだ。父親の尊厳はどうあがいても保たれるが、自分自身でそれを揺るぎないものだと思いながらも、無理しない生活に切り替えてほしい。
哀愁漂う父親の顔。風体。絶対に失われてはいけないものだと確信した。父親が改札を通り抜けるのを見送る。とても強いけど、とても弱く見える。杞憂だろうけど。人の心配をしている場合か?お前は自分の生活に戻るんだ。父親はお前に失望しているかもしれないぞ。男と男の別れっちゅうもんはもっと毅然とした態度で望むもんだべ。さっさと自分の改札へ向かうんだ。わかったか?
帰りの電車は座れる気配はなかった。
満腹の 気持ち悪さに 耐えながら 前を見据える 闇夜だとしても

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