お昼を過ぎてやっと動き始める間違った習慣。
遠出してゼッテリアのローストビーフバーガーを食べた。QR決済が使えなくて、還元キャンペーンがあるから買ったのに損した気分。ただただ確認不足が悪い。
しょうがないのでカラオケに行く。なんか別に楽しくもない。次やることが決められない、研究したくない、よって足がそちらの方向へ進んでいた。もどかしい。間違っている。すべて間違っている。
寂しさを癒やす方法を持ち合わせていないので、全面に受けて傷つくことしか出来ない。
疲れてお金を浪費しているだけ。生きていけないくらいにお金がなくなればやる気が出るのだろうか?
大学、研究室の前に来たが、ドアノブが私に握られることを拒否しているように感じた。
仕方がないので廊下にある椅子で本を読む。霜降り明星せいやの「人生を変えたコント」。絶対に負の感情を抱かない。自分に強い信念と自信がある。一番かっこいい勝ち方。号泣しながら、1時間ほどで読み終えた。完膚なきまでに、実力で相手を黙らせる。こんな妄想ばっかりしている気がする。
一つ自分の妄想と異なるのは、助けてくれる友人が現れることだ。そして、その存在がこの物語をより感動させるものにしている。何かを成し遂げる時に、誰かと協力し合って大きな成果を出した経験がない。いや、そもそも何かを成し遂げたことが無いが、誰かを完全に信頼して物事を進めるという経験に憧れがある。私は他人を心のなかで見下しているのだろうか?自尊心が強すぎるのだろうか?自分ならもっとできると、いつもそう感じてしまう。矮小で歪んだ成功体験だけを積んで、大きな失敗をしてきていないしょうもないレール上の人生を歩んだ故、この私を形成しているのだろう。
そういう経験、大切ですよね。そして、自分の無知を素直にさらけ出すことが出来ず、賢者の知恵を享受できずに廃れていく。無駄なポリシー。ChatGPTに聞ける時代で良かったよ。でも、専門的なことはやっぱりその道の賢者に聞くのが良いでしょう。いつになったらそれができるかな。地頭なんかよりよっぽど大切な能力だ。「質問力」みたいな本、どうせあるから読み漁るしか無い。
本を読み終えたら、廊下でシミュレーションを回す。wifi圏内でないとワークステーションの操作ができないので、研究室の壁に寄りかかってパソコンを弄っている。時折、人が通り一瞬視線をこちらに向ける。大変申し訳無い。注意をこちらに向けて、何かしらの感想を抱かせるという無駄な労力を、自分勝手な常識外の行為によって引き起こしてしまっている。でも、ドアノブが強く拒んでいる。いかにも静電気をぶちまけてやるという態度だ。心配というか、かまちょとか変な奴としか思われないということまで承知済みで、それに対する反論を持ち合わせながら足を痺れさせている。わかるだろう、トイレの個室、教室の隅っこ、体育館倉庫のマットの上、、デシベルの低い、壁に囲まれた場所が落ち着くのだ。忍者みたいに壁に隠れられれば一番いいけれど。
自分も疲れて、周りも疲れさせてミスチルの「I」の歌詞見たいなムーブをかましている日々。
死にたいとか言ってみる。どう?
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